folkbowl’s blog

秒針と群青と身体

気儘に、あの雲より猫より

散歩が好きだという人に告ぐ。

私の方が好きである。

序でに、せめてもの私の礼儀として教えてあげよう。あなたの好きは片想いである。散歩はあなたを其れ程好んでいないと私は断言出来る。

何故ならば、私と両思いだからだ。

疑うならば、自己紹介かの如く、私と散歩がいかにして結ばれているか理由を記す。

疑ってなくても記す。記さずにはいられない。

ちなみに、異論は全て却下し、即シュレッダーにかける次第だ。なので止めておけ。


まず、私はよく終電を逃す。そして歩く。

ひたすら歩く。夜明けを待たない。夜を私は闊歩する。散歩が散歩されたがっているからだ。

私は添い遂げる。


次に、私はよく自転車を盗まれる。

だから歩く。ひたすら歩く。新品を買わない。盗難届けを出さない。涙を拭く。

散歩が散歩されたがって自転車に嫉妬してしまっているのだ。嗚呼、散歩、愛しき。

私は添い遂げる。


さらに、私は地図が好きだ。

だから歩く。地図になりたいから。よく迷う。地図にはなれない。でも散歩が散歩されたがっている。私は添い遂げる。


ここまで書いて、私は私の純な散歩に対する思いに頭が下がる。道を歩くように、色んな意味で私は一途である。真っ直ぐだ。最早、誇りすら霞む程に私の道は晴れ渡っている。

ずんずんと足を運ぶ姿に、飛ばないイカロスとあなたは名付けるであろう。そして私は名乗るであろう、地道なコロンブスと。


いやはや、私は散歩と生きているのだなあ。

感服、感服。


さて私は、以前より散歩友達の募集をしております。どこか別々の(なるべく遠くがいい)場所から、同時に散歩を始め、特に連絡は取らず、自身の好きな時まで散歩を続けるのです。

目的地の指定や、待ち合わせはしません。

後日、感想を言い合ったりもしません。


ふむふむ、なんの意味があることやら。



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