folkbowl’s blog

秒針と群青と身体

東京には椅子がない


ふしだらなバーのカウンターに、怪訝な物言いで僕を揶揄する貴女様。不機嫌を決め込んだ下着姿が滑稽で、夜に噛まれた一匹の羊のよう。

平然とウイスキーが駆けた喉が、熱くなるのか冷めるのか、僕は気にしてみる。

出会いだとか、そんな言葉の似合わない時間が四方に拡がって、瞬く間に人が交わした言葉の多くはこの後どうするか、に尽きた。

連れの友人はどこかで身体を交わしている。

僕はあまり深く考えないでいる。考えたくもないことは手当たり次第に放っておくのがいい。


自尊心はどちらに?

あそこの金庫に保管したが、鍵はかけてない。

いつでも煮るなり焼くなり。

時は金すぎるナリ。


部屋にはけたたましく感じる破廉恥な音や声が、自由たりうる格好で響いていた。

これほど酔いを進めないつまみはない。これほど辟易とする雑音だった事、にわかには信じ難かった。人が人をそうさせるのは、本能と云う。

それを疑ってかかる僕は、この場所において何かを欠落しているようにすら思えたが、そうである方が僕は楽しめる。人の模様は、幾何学的に観察出来てこそ深みがある。

知ったかぶりがしたいんじゃない。

知りたいと思う姿勢をピンと正しているだけだ。


恍惚の表情で、連れが隣に戻ってきた。

”せっかく来たんだから、楽しめばいいのに”

楽しくないと言った覚えはない。

”人数が多いと、途中から何が何だか分からないくらいになっちゃう”

聞いてない。

”さすがに疲れちゃったけどね”

繰り返す、聞いてない。


その後、ずいぶん酒も廻っていた僕が不意に我にかえると椅子の合間から、僕の僕が誰かに味わってもらわれていた。

教えたつもりのない良き塩梅で、丁寧になぞられながら奉仕されていた。

僕は礼儀に煩い人間でいようと、酔いながらも椅子を引き、その奉仕人を伺った。


しっかりと歳を重ねたであろう男性だった。


繰り返す。


聞いてない。