folkbowl’s blog

秒針と群青と身体

夏蝉

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幾つもの星と星とがぶつかって、何年先の未来が水泡に帰すならば、どうしようか。

隕石が気前よく落ちてくるかもしれない、異星人が僕ら攫うやもしれない。

そんな時が来たら。


見よう見まねで私は小刻みに唇を震わしてみた。口笛が吹けないのだ。観衆の中、響き渡る声援を送るならば、あの雲に届きそうな指笛を鳴らせるのもいいかもしれない。

兎にも角にも、私は合図とは何かを考えてみた。だって必要に思うんだ。人波の中に、私は此処だと言える強さが欲しいから。

それが例え、煩い音だって。


人生の渦中で、人は人並みに対峙する。

生きる理由だとか、価値だとか。それもつかの間、鳥が視野の画角の隅から隅を移動する程度に悩む。そして答えがないと決めて珈琲に手を伸ばすだろう。それを諦めたり、止めたり出来ない阿保がたまにいる。そして有名を手にしたりする。

彼らの道中に落ちているのは「変わり者」だったり、「不器用」だったり、「子供」だったりする。口惜しいくらいに、憧れで決着がつく。


あなたは何を覚えていたいの。何を忘れたいの。

何を見つけたの。何を見失ったの。

足掻いて廻る僕をどんな目で見るかな。

僕はまだあなたに会いたがる阿保のままだよ。

それを報せるには、生き抜くんだって、生き抜かなきゃ伝えられないんだって。

生き抜いても、伝えられないかもしれない、でも、せめて出来るだけあなたに近いように。


そんな時が来たら、私は会いに行くよ。

生きてみたという音を鳴らして。

会えなくても。