荒野と曇天
声明文。
つらつら歩かず、傘はさす。
凛と姿勢をたて、世迷言など言わぬ。
煙草も酒も贅沢せず、序でばかりに嗜もう。
野良な猫が居たらば、餌をやる。
釣った魚は粗末にせぬ。
乾燥を忌み嫌い、清潔極まりない部屋にす。
好きな「んと」はきちんと!
私はかくのごとき日々を全うす。
全て逆さまを歩く私は、何だ。
物の怪であるならば、納得するのは私か、天か。
部屋には、amiinaというグループの音楽が流れている。アイスランド出身らしい。気分が下降気味の時に流すと、もう少し静寂を破ってよ、と言いたくなる程、沈黙と静寂に質量を与え、甘美とはまた違う心地よさがある。
私はこんな音楽を聴いたり、好んだりするのに、何故このような暮らしっぷりなのか。
私の暮らしは音楽で彩られてはいないのか。ずいぶんと昔から音楽を嗜み、休日は自転車漕いで中古レコード屋に赴き、胡散臭い店主に聞き齧った知識をひけらかされてきたではないか。
”ヨーコが居た病室にはな、ジョージとリンゴの写真は飾られてたが、ポールのは無かったんだぜ?”
だから何だと言うのだ!
私の青春は大きく閉じこもった地下室のような場所に監禁され、遂に私に会う事は無かった、と私は仮定している。青春が私に会う時は、青春がとられた人質を見捨てるに等しい。私も青春が下したその選択を否定しない。私は青春の人質が解放されたことを喜び、それを私の青春としてきた。
甘酸っぱい桃色破廉恥な音を立てず、ただひたすらに音楽や活字を漁り、掘らなくていい穴を掘り、潜らなくていい池に潜っていた。
だからさ、なんて理屈はない。
私はたぶん、素敵な青春を謳歌し、汗と友情を頼りに秒針を廻してきたところで、きっと現在に行き着いたであろう。それを今更巻き戻そうなどとは思わない。後悔こそが人生である。
ただ本当の後悔は、病のように私を崩し、また形成しているのだ。細胞に絡みついたら最後、荷物となって分裂と再生を繰り返す。
だから人生なのだ、後悔は。
それでは、また明日。後悔しよう。