folkbowl’s blog

秒針と群青と身体

荒野と曇天

声明文。

つらつら歩かず、傘はさす。

凛と姿勢をたて、世迷言など言わぬ。

煙草も酒も贅沢せず、序でばかりに嗜もう。

野良な猫が居たらば、餌をやる。

釣った魚は粗末にせぬ。

乾燥を忌み嫌い、清潔極まりない部屋にす。

好きな「んと」はきちんと!

私はかくのごとき日々を全うす。


全て逆さまを歩く私は、何だ。

物の怪であるならば、納得するのは私か、天か。


部屋には、amiinaというグループの音楽が流れている。アイスランド出身らしい。気分が下降気味の時に流すと、もう少し静寂を破ってよ、と言いたくなる程、沈黙と静寂に質量を与え、甘美とはまた違う心地よさがある。


私はこんな音楽を聴いたり、好んだりするのに、何故このような暮らしっぷりなのか。

私の暮らしは音楽で彩られてはいないのか。ずいぶんと昔から音楽を嗜み、休日は自転車漕いで中古レコード屋に赴き、胡散臭い店主に聞き齧った知識をひけらかされてきたではないか。

”ヨーコが居た病室にはな、ジョージとリンゴの写真は飾られてたが、ポールのは無かったんだぜ?”

だから何だと言うのだ!


私の青春は大きく閉じこもった地下室のような場所に監禁され、遂に私に会う事は無かった、と私は仮定している。青春が私に会う時は、青春がとられた人質を見捨てるに等しい。私も青春が下したその選択を否定しない。私は青春の人質が解放されたことを喜び、それを私の青春としてきた。

甘酸っぱい桃色破廉恥な音を立てず、ただひたすらに音楽や活字を漁り、掘らなくていい穴を掘り、潜らなくていい池に潜っていた。


f:id:folkbowl:20170614002536j:plain


だからさ、なんて理屈はない。

私はたぶん、素敵な青春を謳歌し、汗と友情を頼りに秒針を廻してきたところで、きっと現在に行き着いたであろう。それを今更巻き戻そうなどとは思わない。後悔こそが人生である。

ただ本当の後悔は、病のように私を崩し、また形成しているのだ。細胞に絡みついたら最後、荷物となって分裂と再生を繰り返す。

だから人生なのだ、後悔は。


それでは、また明日。後悔しよう。