folkbowl’s blog

秒針と群青と身体

例年に比べて暑いの例年がない

君のアパートと僕のアパートは遠くない。

京浜東北を跨げば、短編を読みきる間も無く、着いてしまえる。四階建ての老いぼれた一室に通った。だいたい洒落たロックンロールなTシャツで出迎えてくれた。

今日は向こうに鯨のような雲が泳いでいた、と告げれば、てんで愛想のない声で「気持ち良さそうだった?」と応えた。豆茶を淹れながら、今日の話をすれば、小粋な物言いで返す。

活字にすれば移ろいある暮らしも、その時はずいぶん緩やかに流れ、色合いは足りない様子だった。本棚は永く手をつけてない様子で、文庫本の並びも確かに覚えている。

やけに太宰が多かった。書きながら思い出した、家にある「グッド・バイ」は君の物だった。


それらを除けば、君に覚えている事は多くない。学校の喫煙所で、教授と仲違いをして不貞腐れていた君と初めて話したこと。

乙女座なこと、華奢な割によく食べたこと、花の名前を幾つか教えてくれたこと。

駅までの帰りに見つけられる花の名前は全て教わったものだった。


今にして思えば、君といた数ヶ月は何て事のない時間の量だ。朝、着替えを済ませようとして腕に歯型が残っていたが、仕事から帰る頃には消えていたそれと似て。

それを懐かしむ事も、感慨にふける事もそれほどない。今どうしているのかも、浮かべない。

それでも記憶は少し曖昧なまま、夜につねられると過るのは、僕が相も変わらずその時のままだからだ。


「グッド・バイ」読んだよ。

珍道中と名付ければ他愛ないその物語も、君がいなければ出会わなかったかもしれない。

いくつか歳をとり、きっとあなたも同じようにとったことでしょう。

便りのない場所に、僕は毎晩手紙を書いて、それを思い出としています。

そんな暮らしも悪くないよ、と

あの頃と同じように、てんで愛想のない声で君が応答してくれれば幸いだ。