ロマンスは棚の上
某日、都内。待ち合わせに向かう。
SNSで交流したそのひと。
それとなく拝見した雰囲気、紡ぎ出す言葉、伝わる艶めきと少しのあざとさ。
私の胸のうちにあるのは、邪な思い。久々の官能を期待し、怠惰をしまい、足を運んだ。
居場所と、格好が記載されたメッセージを確認し、そこに向かう。
いた、彼の方で間違いない。
うむ。視力の悪さも引いても素敵そうな娘さんではないか。うきうきしてきた。
どうも、こんにち
そこには、およそ地球の裏でしか採れないであろう植物のような容姿をされた方がいた。
強大なマイナスが全身や内面を翻し、無課金ユーザー極まりないと見受けられた。
私は困惑に礼儀を置いてけぼりにされ、繋ぎの言葉もなかなか出遅れた次第である。
あ、こんにちは、ふふ
文字にすれば柔らかなマシマロ的挨拶である。
私の印象は違う。ただ、無礼であり続けるのは至極無粋なので、平静を手繰り寄せるように戻した。本日は晴天である。
仄かに日が長くなったから、少しでも早めに飲める気がして嬉しい。それは時と場合によるが、出来るだけ楽しい方に近付く努力を惜しんではいけない。軽やかに会話を交わし、お酒を飲みに出向いた。会話の節々に、文字だけで交わした艶めきが匂ったが、いささかけちのついた現在に、その価値は薄れつつあった。
和やかと形容するに値する時間が、脈々と流れ、雰囲気は仲良しの様相だ。
私も幾分楽しい。ふとした時の其の方の笑顔はくしゃっとして、植物に冬が来たのかと目を疑ったが、アルコールが助太刀すれば、それもまた愛嬌に見受けた。其の方は褪せた緑の軽い羽織をとった。その時に改めて、其の方のお乳の豊かさに気付いた。私は刹那に、欲望の頂きを目指す登山家となった。ちなみに私はこの文章を書き続けるにあたって、三度、自己嫌悪している。
その箇所を当ててくれ。もっとあるべきだ、という指摘は却下する。
互いに酔いも回り、手洗いから戻る際、私はいじらしいほど分かりやすく、其の方の頭を撫でて帰った。反応は熟した蜜柑のように甘い顔をしていた。ほんの少しの苛立ちが沸いたが、心の扉がそれを拒み、私はその感情を忘れるように遠投した。
いこうか
うん、えへへ
雪崩れ込むとは、まさにこの事である。
其の方は、それとなくシャワーを浴びに、私は押し寄せる冷静を払いのけ、代わるようにシャワーを待った。ふつふつと、私は武者震いのようなものを感じていた。
酔ったせいか、ある種のプライドなのか、ここで行為をもって私はマウントに立ち、其の方を降伏させたいと思った。
スムーズに私と破廉恥選手権を快諾したような人だ、なかなかに様々な選手権をしたに違いない。
その柔らかなマシマロ的雰囲気で、幾つもの布団に肌と肌を忍ばせてきたのであろう、其の方に。
一編の詩を記憶させたい、私の、行為で。
勝負は、前戯。そこに私の任務を集約させる。
威勢と意気込みはまさに青天井。
唇を交わし、不意に見た其の方は照れ臭さそうに目を閉じていた。
今に見せてやる。桃色カミングスーンである。
私は私のもてる技術を全て費やし、其の方に奉仕した。けれども不意にくる反撃に、余裕を見せられたのかと、なしの礫のような感覚が頭をよぎった。ついぞその快楽の城壁を崩落させるに至っていないだろう自分の不甲斐なさに落胆した。
それでもそれは自身の感覚であり、其の方は愉悦に次ぐ愉悦の時間かもしれないと前向きに捉えた。
それも束の間の陽射しだった。
其の方が、私をもてなし始めた。
緩急を交え、丁寧かつ迅速に私のターンテーブルをステイチューンした。黄昏のような、純情と情熱を合わせた声を、私は天に捧げていた。
どうして、知っている。それを。そこのそのそれは、そうされると。私は。私は。
私の身体がひとつの島国であるならば、国民総生産が上がりに上がっていた。
気持ちがよいでござる!
感服と、敗北が混ざった複雑な心情が揺れ動き、私の語尾は薄気味悪いほど自尊心をなくしていた。その後の行為の中に静寂は無かった。
というより、私が静寂を破り続けていた。
愉悦、また愉悦。
その日の戦績は言うでもなく三敗だった。
翌朝、駅に其の方を送った。
私は人生の端には、様々な未知が落ちているのだと学んだ。筆まめのない文豪もいるものだね、と告げた。なあに、それ、うふふと返ってきた。
改札の向こうで、其の方はまた植物のような顔を歪ませ、笑って手を振ってくれた。
その後で財布から諭吉がひとり居なくなっていった、というより連れ去られていた事に気付いた。
私は真夏の高く澄み切った空を少し大人びた表情で眺めていた。
※この記事はフィクションです。
フィクション、だってば。
ロックンロール
鵬程万里。
ついぞ哀しみや切なさも、私と共にはるばる現在までやって来た。愛着の湧かないそれは、古い友人より他ならぬ、恩人とも同胞とも言える。
ずっと開く事のなかった雨傘、また名演の影で出番を待ち続けた曲目、或いは弾かれなかった弦のよう。近く在れど、触れないそれを
人は後悔と呼んだりする。
水溜りのように、私の知らない瞬間瞬間に、後悔は目に見える場所に落ちていたのだ。
ぐるりと廻ってもどこから後悔を招いたかは、定かではない。というより心当たりがあり過ぎて、全てがそうともいえる。
けんけんぱ けんぱ けんぱ けんけんぱ
くらいにはリズミカルに落としてきた失態。
反省はないのか、今すべきだ。
だが、今したところで、いやしない理由にはならないだろう、君のおかげで自問自答に歯止めが効かなくなった。どうしてくれる。
今更、私はあの娘の乳房に用はないし、感覚もきしょい位に神経と細胞が記憶と記録を残してくれている。何故か靴下を勢い良く飛ばすのが上手なところも、鮮やかに蘇る。
只、随分と大きく影が残ったから、踏んだり追いかけているだけだ。
自分だけで決着つけないと、何だかこれからが詰まらなく、大事なものも見つからなそうなだけだ。強がりではない、弱さをあるがまま見つめただけである。偉そうにまあ。
私が芸術家だったなら
きっと通過点に過ぎないと踏ん張る筈だ。
ここで私が私を騙し通し、手頃な幸せと、度数の高いアルコールで忘れようものなら、私は私の傑作には出会えないだろう。
漱石は、”それから”の後に”こころ”を書いた。
ゴッホはひまわりの後に星月夜を描いた。
連ねれば幾つも幾つも浮かぶ。
私はそんな大層な人ではないが、せめて足掻けるものは足掻きたい。
あの娘と出来なくなった約束は、胸のうちの自分とすべきなんだ。傑作を待ち侘びるように、このすべからくどうしようもない日々を歩こう。
応えが知りたいなら、聴きたいなら
応えたいなら
生きてみるべきだと思わんかね、同胞、恩人よ。
ろーどおぶざなんちゃら
随分と錆びた掲載の指輪は、もう何年か前に自分で購入したものである。確か、初めて賞与を貰った時に、浮かれながら勇んで買ったのだった。
買った際のこの指輪は6つだった。
6連なる指輪で、これだけ有るならばと気後れせずに買った。今にして思えば、男らしくない保身的な買い方である。気に入ったから買った、で良いのに、これだけ有るならば無くしてもひとつは残るだろう、という情けない自分がいた。
ひとつ残るのが重要なのか、はたまたひとつ無くしてもいいと云う考えが駄目なのか、でも明確に言えることがある。
私はこの指輪をえらく気に入っている。
ともあれ、現在は3つまで減ってしまった。
ひとつは頂戴とせがまれあげたもの、ふたつは伊豆の海の中になくしたもの(ちなみに余りに楽しくて外すのを忘れたせいで、この時だいぶ錆びた。)、みっつは分からない。どこへやら。
よくもまあ、3つ残っていてくれてるものだ、その位にはよく身につけ、腕を振って歩いている。
仕事柄、就業中には着けられないが、基本的には鞄の指輪用のポケットにいる。そうまでしなくてよいのだが、何となく連れている。普段からそうしておけば、無くしにくいのではないかと思ったものが習慣となっただけである。
私に物を長持ちさせる術は無いが、永きに渡って使い潰す執念が、何故かある。
もう変えなよ、という意見に従った事がない。
革製品は、使い続けると味わいのある風合いになるが、使い続け過ぎると悲鳴をちゃんと上げる。
それを知ると、いつも新品のような、というバキバキでピカピカのようなサイクルで物を買うというスタイルが良いかもしれないが、肌に合わない。
さて、旅に行ってきました。
そんな大袈裟なものでなく、ゆるりと気ままにひとりで。温泉はやっぱり良い。とても贅沢な時間の使い方だ。温かい水に全身を浸し、やけに趣のある景色を眺め、気を張らず、だらけたいときにだらけ、向かいたい場所に向かう。
そうか、最高かよ。
後は財布が無傷なら、なんて。
寂しくないのか、なんて愚問。ひとりで行く良さとふたりで行く良さと複数で行く良さは全て似て非なるものです。
唯一、私が遅刻をしないので済むのは、ひとりで行動している時だけなのです。
恥の多い待ち合わせでした。
ちなみにどうしてだか、チェックアウトの時間に遅れた事は未だかつてありません。
ちゃんと朝食を食べ、朝風呂に浸かり、天気予報を確認し、時刻表を確認し、きちんと借りた部屋の整頓をし、軽いお礼を紳士に伝えて宿を後にします。仕事っぷりとはかけ離れた私がいます。
ですので、自室の風呂を温泉にしたら、私も生活が変わる気がしたので、仕事をしっかりこなし、その計画を実行しようと思います。
ビバ温泉。
気儘に、あの雲より猫より
散歩が好きだという人に告ぐ。
私の方が好きである。
序でに、せめてもの私の礼儀として教えてあげよう。あなたの好きは片想いである。散歩はあなたを其れ程好んでいないと私は断言出来る。
何故ならば、私と両思いだからだ。
疑うならば、自己紹介かの如く、私と散歩がいかにして結ばれているか理由を記す。
疑ってなくても記す。記さずにはいられない。
ちなみに、異論は全て却下し、即シュレッダーにかける次第だ。なので止めておけ。
まず、私はよく終電を逃す。そして歩く。
ひたすら歩く。夜明けを待たない。夜を私は闊歩する。散歩が散歩されたがっているからだ。
私は添い遂げる。
次に、私はよく自転車を盗まれる。
だから歩く。ひたすら歩く。新品を買わない。盗難届けを出さない。涙を拭く。
散歩が散歩されたがって自転車に嫉妬してしまっているのだ。嗚呼、散歩、愛しき。
私は添い遂げる。
さらに、私は地図が好きだ。
だから歩く。地図になりたいから。よく迷う。地図にはなれない。でも散歩が散歩されたがっている。私は添い遂げる。
ここまで書いて、私は私の純な散歩に対する思いに頭が下がる。道を歩くように、色んな意味で私は一途である。真っ直ぐだ。最早、誇りすら霞む程に私の道は晴れ渡っている。
ずんずんと足を運ぶ姿に、飛ばないイカロスとあなたは名付けるであろう。そして私は名乗るであろう、地道なコロンブスと。
いやはや、私は散歩と生きているのだなあ。
感服、感服。
さて私は、以前より散歩友達の募集をしております。どこか別々の(なるべく遠くがいい)場所から、同時に散歩を始め、特に連絡は取らず、自身の好きな時まで散歩を続けるのです。
目的地の指定や、待ち合わせはしません。
後日、感想を言い合ったりもしません。
ふむふむ、なんの意味があることやら。
東京には椅子がない
ふしだらなバーのカウンターに、怪訝な物言いで僕を揶揄する貴女様。不機嫌を決め込んだ下着姿が滑稽で、夜に噛まれた一匹の羊のよう。
平然とウイスキーが駆けた喉が、熱くなるのか冷めるのか、僕は気にしてみる。
出会いだとか、そんな言葉の似合わない時間が四方に拡がって、瞬く間に人が交わした言葉の多くはこの後どうするか、に尽きた。
連れの友人はどこかで身体を交わしている。
僕はあまり深く考えないでいる。考えたくもないことは手当たり次第に放っておくのがいい。
自尊心はどちらに?
あそこの金庫に保管したが、鍵はかけてない。
いつでも煮るなり焼くなり。
時は金すぎるナリ。
部屋にはけたたましく感じる破廉恥な音や声が、自由たりうる格好で響いていた。
これほど酔いを進めないつまみはない。これほど辟易とする雑音だった事、にわかには信じ難かった。人が人をそうさせるのは、本能と云う。
それを疑ってかかる僕は、この場所において何かを欠落しているようにすら思えたが、そうである方が僕は楽しめる。人の模様は、幾何学的に観察出来てこそ深みがある。
知ったかぶりがしたいんじゃない。
知りたいと思う姿勢をピンと正しているだけだ。
恍惚の表情で、連れが隣に戻ってきた。
”せっかく来たんだから、楽しめばいいのに”
楽しくないと言った覚えはない。
”人数が多いと、途中から何が何だか分からないくらいになっちゃう”
聞いてない。
”さすがに疲れちゃったけどね”
繰り返す、聞いてない。
その後、ずいぶん酒も廻っていた僕が不意に我にかえると椅子の合間から、僕の僕が誰かに味わってもらわれていた。
教えたつもりのない良き塩梅で、丁寧になぞられながら奉仕されていた。
僕は礼儀に煩い人間でいようと、酔いながらも椅子を引き、その奉仕人を伺った。
しっかりと歳を重ねたであろう男性だった。
繰り返す。
聞いてない。
色のついた瓶で中身まで
喉元まで屁理屈がやって来たけど、どうにか吐かずに飲み込んだ。その数秒間の沈黙で、悟ったようにあの娘は笑って、僕を窘めた。
そんなんだから、ダメなのよ
雷鳴みたいに記憶を瞬いた。
頼りないや、と洗濯機が蠢いた。ガタガタのエンジンで昨日を洗った。それを干すのだ、今日も。
不甲斐ないねえ、とポットが呟いた。グツグツと寂しさを温めた。それを飲み込むのだ、1人で。
ひっそりと、窓辺に置いた花瓶。
蕾から今にも飛び出そうとしている。この部屋で、花瓶に水をさすように、そろそろ起きたら?と言われる事は多かった。僕はまだ性懲りもなく寝坊しているようだ。
灰になるまで、笑ったり、泣いたりしたことの全部を記せるなら、それを幸せだとするなら、僕には何が足りないのだろう。孤独を、あくなき探求する日々を、それを、幸せにするのなら。
落書きが上手ね、と花を生けるように言ったあの娘との時間を、愛だ恋だと、するのなら。
雨が不意に跳ねる季節になりましたね。
傘など忘れぬよう、そして風邪などひかぬよう、自分とあなたに告げます。
夏蝉
幾つもの星と星とがぶつかって、何年先の未来が水泡に帰すならば、どうしようか。
隕石が気前よく落ちてくるかもしれない、異星人が僕ら攫うやもしれない。
そんな時が来たら。
見よう見まねで私は小刻みに唇を震わしてみた。口笛が吹けないのだ。観衆の中、響き渡る声援を送るならば、あの雲に届きそうな指笛を鳴らせるのもいいかもしれない。
兎にも角にも、私は合図とは何かを考えてみた。だって必要に思うんだ。人波の中に、私は此処だと言える強さが欲しいから。
それが例え、煩い音だって。
人生の渦中で、人は人並みに対峙する。
生きる理由だとか、価値だとか。それもつかの間、鳥が視野の画角の隅から隅を移動する程度に悩む。そして答えがないと決めて珈琲に手を伸ばすだろう。それを諦めたり、止めたり出来ない阿保がたまにいる。そして有名を手にしたりする。
彼らの道中に落ちているのは「変わり者」だったり、「不器用」だったり、「子供」だったりする。口惜しいくらいに、憧れで決着がつく。
あなたは何を覚えていたいの。何を忘れたいの。
何を見つけたの。何を見失ったの。
足掻いて廻る僕をどんな目で見るかな。
僕はまだあなたに会いたがる阿保のままだよ。
それを報せるには、生き抜くんだって、生き抜かなきゃ伝えられないんだって。
生き抜いても、伝えられないかもしれない、でも、せめて出来るだけあなたに近いように。
そんな時が来たら、私は会いに行くよ。
生きてみたという音を鳴らして。
会えなくても。